横田基地の歴史ツアー
横田基地歴史ツアーは米空軍誕生50周年を記念して1997年に企画されたものです。発案者は第374空輸航空団の史料室長デニス・ピッツさん。この年にあわせるように1年前からたくさんの行事が全世界の米空軍基地で行われました。この歴史ツアーは、実際には1996年の9月頃から米軍人と家族のために行われたのですが、関心のある方がたくさんはいなかったので、日本の方々を招待したいと、ピッツさんは広報に相談に来ました。1997年2月頃です。
本来は渉外の仕事なのですが多忙につきできず、報道でやることになりました。渉外、報道といっても担当者は一人だけです。初めは学校の生徒を対象にしたいというピッツさんの願いだったのですが、一般大衆の方がやりやすいということで決まりました。どうやって参加者を募るか、日程、参加希望者の受け付け、受け入れ人数、通訳は誰がやるかなど考えることが山積する中、ニュースリリース、日程、通訳ボランティア募集等から取り掛かることになりました。

一週間に1回で20人くらい集まれば良いのではないかと思っていました。ニュース・リリースを出し、一般誌を通してツアーの広報の協力をお願いしました。報道関係の方はこのツアーに大変興味を持ち、最初のツアーから参加したいという方がたくさんいました。
ツアーに参加した報道関係の方が書いた記事、その中でも読売新聞の4月3日の記事は大きな意味を持ちました。その後すぐに、都内版で大きくこのツアーが取り上げられたからです。それからというもの電話はひっきりなしにかかってくるという状態が続きました。あっという間に半年の予定がいっぱいになってしまい400人もの超過が出たのでした。


広報の上司が見かねてか、6月半ばからは専門にやってくれる人を雇ってくれました。
横溝直人さんで、献身的にその仕事をこなしていきました。彼は自分で週に1回どころか3回、4回とツアーをこなしたのでした。彼は人のためになることを進んでやる人でした。都合により12月12日付けで退職しましたが、彼は日本語版富士フライヤーに次のように書いています。
4月に始まりました横田基地歴史ツアーは12月11日のツアーを最後に終了しました。通算ツアー回数81回、参加者総数2,033名。
思い返せば実に様々な人々が、それぞれの思いを胸に、私たちの職場でもあるこの「日本の中のアメリカ軍横田基地」を訪れてくれました。57年前の多摩飛行場当時の陸軍航空整備学校、航空審査本部に勤務されていた方、学徒動員で基地建設に携わった方、亡きご主人の勤務地を一目ご覧になりたかった方など。
また、様々なグループ参加もありました。歩く会、英会話サークル、飛行機ファン、歴史研究会、障害児のグループ、福祉事務所、通訳協会,ボーイスカウト、文部省教科書検定委員、学校の先生方、高校生・大学生グループ、主婦サークル、老人会、自衛隊、防衛庁関係者、そして基地従業員のご家族などなど。
朝日新聞

参加して頂いた皆さんにとっての共通認識は、横田基地が如何に特殊な、そして基地外の人々にとって近づき難い存在であるかということです。私共が何気なく職場としている横田も、一般の市民の方にとっては未知の「日本の中のアメリカ軍基地」なのです。
横田のアジア地域における軍事的任務、組織構成、騒音問題を含めた基地問題、どんな人達がどんな生活を送っているかについても正しい知識を持っている人はごく少数派です。このツアーを通じて、微力ながら一般の市民の間に横田基地に対する理解を深められたことを幸いに思います。
空軍再編成で1992年横田基地の正式部隊が第374空輸航空団になってすぐに着任された横田基地司令官マーカーシー准将は、在任当時このような基地スローガンを掲げていました。
「 私は横田基地がより住みやすく、働きやすく、遊びやすい場所にしたい」と。
横田基地を職場に持つ日本人従業員としては、もう一つ「市民に愛されるYOKOTA]をスローガンを加えればナア、と考えた方が私以外にもいらっしゃったと思います。軍事基地が、様々な政治・社会思想を持つ全市民から容認されるのはどんな時代でも不可能です。しかしながら、基地への理解を深めることによってそれまでの偏見を取り去り、親しみを持って横田基地を見てくれる方は、確実にその視野を広げると信じております。
最後になりましたが、この歴史ツアーに関わったすべての基地諸機関の皆様、取り分けボランティアとして通訳にご協力をいただいた基地従業員の方々に厚く御礼申し上げます。
横田基地広報部 横溝直人 1998年2月
横溝さんはこの後オーストラリアに渡り、現在オーストラリアのメルボルン近郊で教師として働いている。(2002年2月)
デニス・ピッツさんは横田基地に9年間史料部の室長として働いてきたが、2002年11月に退職、12月に本国に帰り、ワシントン州のシアトルに住む計画という。