2009年 出来事・話題

1月15日(木)
福生青年会議所の賀詞交換会がEクラブで行われ、およそ120人が参加した。
午後8時から名刺交換会、活動をアピールする時間もあった。









1月18日(日)
恒例のフロストバイトロードレースが基地内で行われ約8500人の参加者と応援する3000人の家族等が来場した。

同日、横田基地と福生市、あきる野市、瑞穂町、羽村市、武蔵村山市にある地元の5友好クラブ共催の新年会が行われた。基地側から司令官を初め50人以上が参加、日本側からは衆議院議員、都議会議員、市町長等たくさんの来賓を含め約260人が参加、楽しい日米交流が行われた。

参加者をお迎えする司令官と5人の会長

あきる野横田交流クラブが今年の新年会の幹事クラブということで、5クラブを代表して小林会長が挨拶された。


同様に来賓を代表してあきる野市の臼井市長が英語と日本語で挨拶された。


今年初めての試みであったが、広報のGRAPHICSの協力を得て「謹賀新年」「A Happy New Year]他の表示をスライドで行った。その表示の前で司令官とJAAGAの皆さん。

昨年は福生、今年はあきる野が当番クラブとして働いた。来年は瑞穂が幹事クラブとして準備することになっている。手締めの際に挨拶する瑞穂の会長、この後、整備群司令官、整備中隊司令等が一緒に手締めをおこなった。



1月19日(月)
Martin Luther King Jr. Dayキング牧師の誕生日


1月20日(火)
副司令官との副市町長会議が行われた。この中で史料部トライバー博士により1945年からの戦後の様子について写真による説明があった。
このスライドによるブリーフィングは大変好評であった。横田基地の写真による歴史ブリーフィングは今後一般の人他を対象に行うことを考えている。


1月20日(火)夜6時半
DFAS-J国防総省の経理事務所(約3600平方メートル)から出火、全焼するという、基地では非常に稀な火災が発生した。幸いけが人はなかった。





1月30日(金)
基地司令官と友好クラブ会長会議が行われた。


3月15日
日米合同演奏会
120人以上の演奏者が福生市と横田基地から集まり、合同演奏会が福生市市民会館大ホールで開かれ、850人以上の聴衆を魅了した。

このコンサートは防衛省北関東防衛局が主催、福生市と横田基地と調整して実現したもので、福生市第一中学校吹奏楽部、都立福生高校吹奏楽部、福生吹奏楽団、横田高校吹奏楽部、米太平洋空軍音楽隊アジアのパシフィック・トレンズが参加した。北関東防衛局として初めての試みであった。
鎌田局長は挨拶の中で、「この演奏会は横田基地と地域の交流をを深めるだけでなく、共通の音楽を分かち合うためで、今後もこうした機会を作っていきたい」と述べた。


指揮者の皆さん



3月17日
福生横田交流クラブ20周年祝賀会が横田基地将校クラブで行われ、地域と横田基地から合わせて150人以上が参加した。

同会の初代会長は山下光一氏で1989年3月、日米の友好と相互理解を深める目的で友好クラブを設立した。以来20年に渡り新年会、ゴルフトーナメント、関東地区スペシャル・オリンピック、福生七夕祭り、横田基地友好祭など様々な交流を楽しんできた。

石川会長は挨拶の中で、「福生横田交流クラブが他のクラブ誕生の先駆けとなり、あきる野、瑞穂、羽村、武蔵村山との間に友好クラブが誕生し、その影響が青梅他の地域にも広がりつつある」と話した。

加藤市長は同クラブの働きにより日米友好、基地への理解が広がっているとの福生市としての認識を示し、相互理解が引き続き友好と善意の輪を広げることを期待していると述べた。

ニューエル大佐は同クラブを「横田基地と福生市民の友好の礎」、横田基地の司令官、軍人、軍属、家族を歓迎し、ことばの壁、日米文化の橋渡しとして働いてきたことに感謝を表し、「今ある日本の文化に対する理解はその働きによる」と挨拶した。





4月4日(土)
羽村市により「おわら」に招待された。整備群司令官、730航空機動中隊司令が出席した。

第374整備群司令官、第730航空機動中隊司令、羽村・横田友好クラブ会長、副会長等



4月9日
第374運用群司令官就任式(Assumption of Command)が行われた。
主宰者ニューエル大佐。


第374運用群旗が第374航空団司令官ニューエル大佐からへリング大佐に渡された。


挨拶するヘリング大佐


Hering大佐のヘリングはHerring(ニシン) と同じ発音から愛称はFISH(さかな)



4月14日(火)
横田基地第374空輸航空団指揮権交代式が行われた。整列した3人の司令官、左から第5空軍司令官ライス中将、ニューエル大佐、ヒックス大佐。


第374空輸航空団旗がニューエル大佐からライス中将に返され、ライス中将からヒックス大佐に渡された。新しい司令官マーカス・ヒックス大佐



4月22日(水)
武蔵村山・横田友好クラブ役員による運用群司令官・歓迎会が行われた。



5月3日(日)
青梅横田交流クラブにより青梅大祭に招待された。







5月6日(水)
福生横田交流クラブ・ゴルフトーナメントが行われ、在日米軍・第5空軍司令官ライス中将、第5空軍副司令官アンジェレラ准将も参加された。在日米軍・第5空軍司令官が参加するのは20年前に同交流クラブが設立された後、当時のデービス中将に参加していただいて以来の出来事という。



5月13日(水)
青梅市民会館で午後7時から青梅横田交流クラブ・設立記念コンサートが開かれ、太平洋空軍音楽隊(アラスカにあるエルメンドルフと横田基地の空軍音楽隊)による演奏会が開かれた。


音楽隊から主催者(青梅横田交流クラブ高木会長)に対して感謝状と盾が贈られた。



5月14日(木)
福生・横田交流クラブ主催米空軍太平洋音楽隊の演奏による第4回フレンドシップコンサートが福生市民会館大ホールで18時30分より行われた。







5月21日
横田基地副司令官と副市町長会議


5月21日
JAAGA総会の後のレセプションから









5月23,24日
スペシャル・オリンピック








5月25日
ベテランズ・デイ米国戦没者追悼記念日







5月28日
北関東防衛局による第13回防衛問題セミナー
在日米軍の存在意義とその歴史
史料部トライバー博士によるスライドによる横田基地の歴史



5月29日
福生横田交流クラブ総会




在日米軍広報によるJDA見学会





6月7日
駅伝大会

同じ日、瑞穂町一斉清掃に横田からも約50人が参加(瑞穂町提供)。


6月14日(日)
瑞穂町青少年吹奏楽団第18回アーリーサマーコンサート
瑞穂ビューパークスカイホール







6月20日(土)
静岡市B-29慰霊祭
空襲では2000人以上の市民と、B-29の墜落で搭乗員20人以上が亡くなった。
















6月
使命支援群副司令官コーノイヤ大佐と支援群副部長のクラーク氏の送別会か行われた。


6月
瑞穂横田交流協会により大374整備群司令官の送別会が行われた。











NKDB EME北関東防衛局による航空機事故を想定した机上訓練が横田基地で初めて行われ、近隣から警察、消防、自治体他が参加した。







第374空輸航空団司令官ヒックス大佐主催による第374整備群司令官送別会から


7月
MXG指揮権交代式
基地司令官ヒックス大佐はフリスビー大佐(中央)から群旗を受け取り、新しいマーディス大佐に手渡した。


以下は整備群司令官に就任したマーディス大佐。



第374軍支援中隊の374FSSの部長が交代した。


7月14日
武蔵村山横田友好クラブにより第374運用群40人が西武ドームに招待された。
SEIBU DOMEの前で記念撮影



チアガールはアメリカの野球には出てこないというコメントが聞かれた。右:武蔵村山交流クラブの方達。





7月18日
ヨコタホーム夕涼み会


7月24日
ライナス・ジョーダン航空団最上級曹長送別会



7月25日
羽村市夏祭り(右:羽村横田友好クラブによる露天の前で)



7月26日
運用群による武蔵村山・横田友好クラブ2周年を祝って友好記念植樹











7月28日
入間基地花火大会





7月29
日府中基地盆踊り



7月30日
副市町長会議
今年は幹事市が武蔵村山市ということで武蔵村山市にある「里山」「民家」とイオンモールを見学した。





イオンモールでは滅多に見られない映画の施設見学をさせていただいた。



8月1日
青梅花火大会



8月6日
横田基地の5友好クラブ主催による基地司令官歓迎会が行われ170名が出席した。
5クラブを代表したあきる野横田交流クラブ司令官を囲んで5クラブ会長



8月7日
福生七夕祭りあいにくの雨になったが横田基地から約80人の有志が神輿をかついだ。





8月9日
北海道千歳航空祭









8月22、23日
横田基地友好祭
プログラム
地上展示のために飛来したF-22





9月25日(金)
近隣からのリーダーを招いて、太平洋空軍司令官ノース将軍を囲んで昼食会が行われた。



9月 26日(土)
米空軍誕生日Air Force Ball
太平洋空軍司令官ノース将軍が参加した。





9月27日(日)
第21回インターナショナルフェア
11時より国道16号線の基地の第5ゲートから第2ゲートまで1レーンを使ってパレードが行われれた。マーチングバンドを初め基地からの車両が参加した





第2ゲートそばのベルハンドクラブでは開会式を初め露天、また以下の33枚の写真等展示が行われた。
展示写真の前で史料部トライバー博士



9月30日
JAAGAの見学会から
ライス中将を迎えるJAAGA関係者昼食時に挨拶されるライス中将



9月30日(水)
青梅友好クラブと横田基地との調印式が行われた。



10月11日
瑞穂町運動会
横田基地第374整備群から約50人が参加した。


マーディス整備群司令官が横田基地を代表して挨拶


パン食い競争





11月14日
瑞穂産業祭オープニングに基地司令官、副司令官が参列



11月15日
瑞穂産業祭整備群司令官と軍人・家族が参加


11月17日
昭和飛行機を見学させていただいた。その際貴重な昔のアルバムも見せていただき、撮影させていただいた。以下は主に昭和基地と呼ばれていたころの写真。



























2009年11月17日現在もその建物は残っている。


11月24日、福生第2小学校による見学会が行われ、軍用犬の施設、消防署、外周を見て回った。












2009年11月に太平洋空軍広報部の会議に出席する機会を得た。米太平洋空軍の司令部はハワイのヒッカム空軍基地にある。今回の会議にはアラスカ、グアム、韓国、日本、ハワイにある米空軍基地の広報部責任者と共に渉外責任者が招待された。

その一部として、日本と韓国からの参加者はヒッカム空軍基地の歴史的な背景について史料部の方の案内で基地内の主だった施設に行き、説明を受けた。

大変印象に残ったのは、米国が真珠湾攻撃を受けた歴史をそのまま大切に保管していることだった。

ゲート


司令部



司令部の中に戦争の歴史を伝える多くの展示物があった。








司令部の中にあるCourtyard of Heroes


太平洋空軍司令部の建物について
1941年12月7日この建物は3200人の宿舎だった。その朝攻撃を受けた中で最大の陸軍航空隊の建物で、たくさんの航空兵が死んだ。砲弾と弾の跡は命を捧げた犠牲者の無言の象徴として残された。これらの壁はまた我々がいつも国と我々の生活を守るために油断することの無いよう思い起こさせるものだ。1985年米内務省はこの建物を含むヒッカム空軍基地の一部を国の歴史的建造物に指定した。


建物には銃弾の後がそのまま残されている。




第15空輸航空団司令部。ここにも歴史展示物があった。














ここもヒッカム空軍基地の一部





ホノルル空港の旅客機が隣に見える。







着いた日にアリゾナメモリアルを訪れる機会をいただいた。


戦艦アリゾナの船体の一部の上にメモリアルが作られている。







アリゾナの犠牲者


沈んでいる船体の一部が見える






戦艦ミズーリー号記念碑は残念ながら見ることはできなかったが、ハワイにあることを学んだ。


太平洋戦争で日本が無条件降伏した後、1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリー号上で、日本の運命を決定した降伏文書の調印式が行われた。この日、数え切れないほどの飛行機が東京湾上を飛行した。写真の下に見えるのが戦艦ミズーリー号。


ミズーリー号は修理のためかここにはなかった。遠くに見えるのがミズーリー号のようだ。





12月1日
トライバー博士による1945年~1960年のスライドによる航空機写真など約50枚の展示会が行われ、航空機の写真を撮り続けてきた日本人写真家12人に公開された。初めて見る懐かしい時代の写真に歓声の声をあげていた。運用群のヘリング大佐も同席した。トライバー博士は航空機の専門家の写真の説明と知識に大変驚いていた。互いに学びあう貴重な機会であった。

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